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2017年5月 6日 アーカイブ

2017年5月 6日

旧荒浜小学校へ

別名「深沼」とよばれている荒浜。
震災前は仙台市内で唯一の海水浴場でした。
私も、多くの友達も、最初の海水浴の
思い出はここにあると言っていいでしょう。

震災遺構として一般公開がはじまった
仙台市立荒浜小学校。

震災時には児童や先生方、地域のみなさんなど
320人が避難して、校舎の2階まで津波が押し寄せました。

校舎東側にあるベランダの鉄のフェンスは
水の勢いになぎ倒されるように曲がり
裏口の扉も二度と閉まらない状態になっています。
校舎の外周と1階と2階は津波の爪痕が随所に残され
被災直後の様子を伝える写真などが展示されています。

3階部分は公開されていませんが、
4階は展示物や写真、映像で当時のことを振り返るとともに、
これからの災害への備えについて学ぶことができる
コーナーもあります。
さらには、荒浜地区の歴史や文化、荒浜小学校の
思い出が紹介されていました。

荒浜カルタ。.jpg

この写真は、2014年に、震災のため5歳までしか
荒浜に住めなかった小学校3年生の子どもたちが
荒浜のことを知ろうと取り組んだ「あらはまカルタ」。
地域の人に思い出をきいたり、荒浜を探検して
できたのだそうです。

そしてこれは模型で荒浜の風景を復元するプロジェクトで
作られた模型。
津波前の街の姿を全国の建築学生が協力して
1/500の縮尺模型で復元しています。

その模型を地域の人々が囲み、語られる言葉を記録した
「記憶の旗」がたてられているものです。
私と同じ名前の「庄子さん」のところには
「静かなご夫婦が住んでいらっしゃった」という
旗が立てられていました。
荒浜小学校 模型.jpg

見学する人たちの中にはGWということで、
地元に帰ってきたと思われる
卒業生たちの会話も聞こえてきました。

震災遺構について、県内では各地でさまざまな議論が
行われてきました。その場所で亡くなった方がいる場合、
ひとりの頭の中でさえ両方の想いがあり、
個人の意見としても答えがでません。

荒浜小学校では地域の方々の意見で、
体育館ではなく、屋上へ避難する訓練が行われていました。
"当日の校長先生の判断に救われたんだね"と映像の中で語る
町内会長さんの言葉が印象に残っています。

荒浜小学校は、階段の手すりや、水飲み場や
廊下や天井の柄、トイレの扉など、
自分の記憶の中にある自分の小学校とそっくりです。
それは一般的な、仙台市立の小学校のつくりなのだと
思います。
これから県内外からたくさんの方が訪れることになると
思いますが、きっと「小学校」という場所が
想像する力をより強く引き寄せてくれる気がします。

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